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そらのごきげん(想天流転)

恋と電気信号

あふれる

今、恋をしている。
雨の空を見上げれば、いつでもそこにいるような人。

人を好きになるなんてこと特別なことではないかもしれない。
誰だって、人を好きになることはある。

ふと立ち寄ったお店で、お釣りを渡してくれた女の子がかわいくて
ほわんとなることもあるだろうし、いつも商品を持ってやってくる
業者さんと仲良くなって、なんとなく好感を持って。これも恋かな?

私の場合は折に触れて目に見える恋ではない。
ただ心が離れない恋だ。ふとその人のことを思ったときに連絡が付
いたり、メールが届いたり。単なる偶然だけではないタイミングで
つながる心。

目の前にいない者に心を預ける。相手は気ままな風のようでもあり
いつもそこにある空のような人でもある。自分の目標に向かって前
進していく様は一迅の突風のようでもある。いつも空を見上げるよ
うに、上向で前向きだ。空に恋でもしてるんじゃないかと思うほど
に。そしてまた彼も空のように。

空。空だね。ほんとうに。

kumo

でも空なんて、本当はないのかもしれない。
空はインドの数学では0を表すし、仏教の言葉では解釈はいろいろ
あるけど「現象はあるけれど存在しないもの」みたいな。

空気の中に含まれる塵や、水蒸気が光線の加減や光の屈折率で色や
形が違って見える。そこに見えるものは今は見えるが、いつ形を変
えるか、見えなくなるかわからない。変わらないようで、実は一瞬
も同じではない。まさに一期一会なのだ。空は現象としては確かに
あるんだけど、掴めないし、実体がない。それが空だ。

掴めないものだからその一瞬を捉えておきたくなったり、自分の移
る気持ちを重ね合わせたりする。だから、空が好きで、愛している
のかもしれない。

霧の中に居たことがある。
濃い、目の前1mも見えないくらいの、真っ白な霧の中に一人でぽ
つんと。夜明けに霧が見たくて、一人で山の上にドライブして、車
を止めて霧が出るのを待つ。かすんできた景色がだんだんかき消さ
れて何も見えなくなり、ただ白い空間に、洋服を湿らせながら上を
向いて、霧が晴れるまでたたずんでいた。

私が居た地の濃霧は下から見上げた人にとっては「山の上にかかる
雲」であって、それは「空の1部分」。でも、実際その霧は掴むこ
とのできない濃い水蒸気が満ち溢れた空気だけだ。そして私はその
とき、実感はなかったけれど空の1部分に居た。

私の恋は、まさに空との恋だ。

確かに存在はしているが目の前にいるわけではない。
現在のところ、今の関係は音や電気信号、そして近くに感じる存在
感だけで成り立っている。

もちろん人間としてのその人は確かに存在していて、実際に会った
こともあるし話したこともある。手もつないだしKissもした。それ
は今では「過去に起きたこと」で、今起きているわけではない。な
ぜなら私とその人とはそのときからずっと遠くに離れているから。
今、すぐに触れて確かめられない。遠い思い出。


狂おしい 空.jpg



もちろん声は電話で聞ける。メールだってできる。Webがつながれば
チャットだってできる。それは存在している証なんだけど、事実と
しては残らない。電気信号は電気のトラブルがあればすべて一瞬で
消えてしまう。電気信号は意外に当てにならないものだ。

唯一信じるのは心の存在だろうか。

「愛してる」

そう思う気持ちが続く限り、お互いいつも会って密着していなくて
も信じて毎日やっていける気がする。ただ厄介なのはこいつも形が
残らないと言うところだ。何かの折にどちらかがこういう関係に疲
れてしまったときや、愛情が信じられなくなったときは、あっけな
く空中分解してしまうんじゃないか。そんな不安は心のどこかにあ
る。今は何の痕跡も残さない約束のない関係もしかしたらこのまま
ずっとそうなのかもしれない。あとに残るのは心の中に刻まれた思
い出とか愛情とか暖かさとかそういうものだけだ。当事者以外誰に
も見えない。だから大切にしたいと思う。記憶の中に残るそのとき
の想いは本物だ。

電気信号といえば愛情や思い出も脳を伝わる電気信号だったりする
わけだけど、0と1で計算できるコンピューターと違って、0.02
とか、そういう「遊び」の部分がこの電気信号にはある。たとえば
目に見えない小さなとげやささくれが、事あるごとに心や体を苦し
めたりするように、そのほんのわずかな遊びや誤差が意外に大きな
事柄だったりするわけだ。

「愛してる」

その言葉は0と1の間の誤差だ。きちっと割り切れないからかえっ
てその存在は大きいのかもしれない。

たとえばその人の心から「愛してる」という符号の電気信号が発せ
られなくなってしまったときに、どう対処すべきかと考えることが
ある。愛情と言うものは送信部と受信部があってはじめて成り立つ。
発した信号は受信されないと意味がない。たいていはそういうもの
だ。送信するほうも受信されない電波を延々と流し続けていれば、
垂れ流しの電波は迷惑極まりない電波公害となってしまう。

あぁ、だから願わくば
もしそうなったときには早めに電波の送信元に速やかにご連絡いた
だきたい。いずれかの内部処理は必要になるけれど、きちんとブレ
ーカーを早めに落としておかなければ大事故になってしまう。

目に見えないものほど、事故があったときは厄介だ。
思わぬところに影響が出ることもある。小さな誤解は大きな事故に
つながりかねない。

まぁ、なにはともあれ、私は恋をしながら毎日を生きている。
0と1の間の誤差と、空を限りなく愛しながら。




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